『識りたがり重豪』を『知りたがり』にしなかった最大の理由は単なるフックなのだけど、もういくつか理由はあったはずなのに出典を忘れてしまった。ひとつ、再発見したのでメモ。
重豪が亡き母(自分を生むと同時に死んだ)の墓前に献じた文に「嗚呼不幸にして慈顔を識《し》るに及ばず……」というのがあった。たぶんこれがひとつ。
あと、朱子学方面で「知る」を「識る」と書いた江戸時代のテキストがあったようななかったような。
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