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サラハトテ天正十六年十一月初旬ヨリ。
二宮信濃守ヲ奉行トシテ。
孝高ノ指麾ヲウケ土方氏ニ命ジテ。
以土圭攷日景辨方右社後市ノ位ヲ正シ。
(土圭を以て日景を攷(かんか)え、方を辨(わきま)え右社後市の位を正し)

というわけで十六年十一月初旬より、二宮を奉行とし、黒田孝高の指導を受けつつ土方氏に命じて。
トケイ(測量機器)を使って日の影を測量し正確な東西南北を割り出し、右に社、背後に市場という(周礼が述べる通りに)位置を正し、

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コメント:
土方氏は「ひじかた」ではなく「トハウ」とルビがありました。

「以土圭攷日景辨方」はやや難解。土圭は緯度を測定するための道具。なので、機器で正午の棒の影を測定し正確な方位を割り出した、と訳しました。右社後市は周礼のいう「左祖右社 面朝後市」でしょう。
これはなかなか矛盾です。城好きならご存じの通り、広島城と城下は正方位を守っているわけでもなければ、周礼の面朝後市ではなく政庁の前に市が来る長安型プランだからです。
正直、陰徳太平記の急に漢文調になる部分は、中国の古典からのコピペを疑ってかかるべきように思えます。

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